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台湾より最後の更新

2010. . 26
こんにちは。日本帰国まで残すところ20日あまりとなりました、イシモリです。

おそらくこれが最後の更新となるので、台湾での一年間を振り返りつつ、心境の変化や感想を少しばかり

書き綴りたいと思います。

第一学期(2月ー6月)

・空港であまりに言葉が通じずひどい目に遭ったので、開寮までの一週間一人でひたすら、スケッチブックとペン片手に台湾人(道端であった人)にからんでは、中国語を教えてもらう。
(この習慣は最初の学期ずっと続けた。おかげで老若男女問わず街にたくさん知り合いができた。)

・入寮→韓国人&台湾人との3人暮らし
僕が中国語を話せないことをいいことにルームメイトの韓国人(24歳のマッチョ)と隣の部屋のもう一人の韓国人(24歳 細マッチョ)に毎日いじられた。ただ彼らの母が送ってくる本場のキムチとてもおいしい。
彼らに反抗するため必死に中国語に取り組む毎日、、、結局今では仲のいい友達です。

・先生が何言ってるのか結局わからないままフィニッシュ

一学期目なのに全部中国語で授業をとってしまったため、一部の授業はまったくついていけず。日本語学科の科目をいくつか履修するものの、中間テストが50点だったりして日本人失格だなあとか思う。となりの台湾人はしっかり80点とってるし。先生のあの冷めた目は今となってはいい思い出です。

・英語を完全放棄
日常が中国語で染まってしまって英語の勉強をまったくしなくなる。ヨーロッパ人にも、ここは台湾だぜ!といわんばかりに中国語で話しかけるしまつ。ただだんだん「あなた香港人?」とかいわれるようになり手ごたえは感じる。

夏休み(7月ー9月)
熱中症すれすれの状態で真夏の台湾をひたすら歩き、中国語を磨いていく。
またサマーキャンプで台湾に来た日本人が僕の寮に住むことになり、通訳を手伝ったりする。そういえば中国人とも話ができた。

第二学期(9月ー1月)

・寮のメンバーも変わり新しい生活がスタート
台湾の生活もすっかり慣れて、楽しい日々が続く。先学期悩まされ続けた、蚊もすくなくなり、しっかりと寝れるようになった。 日本人と台湾人を主とし、ヨーロッパ人、韓国人、アメリカ人も少ないながらもいる宿舎。すごく楽しい。みんなの集まるロビーのすぐ隣の部屋に住むことになり、プライバシーも何もあったもんじゃなかったけど、慣れた。

・日本に帰りたくなくなる、、、けど航空券も買ってあるしやっぱ帰ろう。

充実した日々が続き、帰国のことを考えるのがいやになる。さらに雪の降る秋田を想像しただけで、鬱になりそうに 笑
まあ正直1、2年生のときは何でAIUには入ったんだろう?とか自分の選択に後悔していたけど、台湾に来る機会を与えてくれたAIUにはやっぱり感謝しなければならないと思う。(帰国後もどうぞイシモリコウヘイをよろしくお願いしまーす。)

・考え方に変化が生まれる。自己理解が深まる。

台湾で20歳の誕生日を迎える。、と、同時にもうただただ好き勝手やっていてはだめなこと、責任を持たなければならないことを感じる。いまだにリクナビとかほったらかしだし、絶対これだ!という将来の設計もできてないけど、親のため、大切な人のためなら、がんばって社会に出ようという気にはなった。
またAIUに入ってから、なんとなく回りについていけてないような気がしていたが、それは自分が十分な努力をしていなかったからなんだと感じた。僕は自分の好きなことしかしないような人間だけど、それでいいから、もっと努力しようと思った。



僕はこの一年間の留学を自分を変える一年間にしようと決めて台湾に来ました。数々の妥協はあったけれど、成功だったと自己評価してあげたいなあって思います!!

泣いても笑ってももう少しで日本に帰ります。1,2年生で楽をしすぎ、単位が大変なことになっているので腹をくくってやります。英語しゃべれないからって卑屈にならないでまた一からやり直します。
秋田は今どんな感じでしょうか?「白銀の世界」とかいわないでください、お願いします。


長くなりましたが以上台湾からイシモリでした。




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はじめまして

2010. . 26
はじめまして!
4期生のみほです

春留学の人が帰国の日記を書いているこんな時期に「はじめまして」だなんて、この子は今まで何をしていたんだ!?
と思う方もいらっしゃいますよね
今日から私の留学生活を色々とお伝えしていくのでよろしくお願いします

私は2010年秋留学組で、8月末からアメリカ・ミネソタ州ハムリン大学に留学しています。

そう、よしみと同じ大学です

この時期のアメリカと言えば、クリスマスムード満載でさぞかしロマンチックな雰囲気につつまれているんだろうな。
と思いますよね?
私もそう思います。アメリカ綺麗だろうな~ミネソタ雪すごいんだろうな~なんて毎日想像しています。

と言うのも、10月半ばから私はずっと日本にいるからです。

(え?留学中でしょ?)

そう思った方…
ここからは、「留学中ってこんなことも起こるんだ!」って気持ちで読んでくださいね。そして、ちょっと長いです。


私がアメリカに着いたのは、まだまだ暑い8月30日
留学行くために必要なTOEFLの点数がなかなか取れなかったため、同学年の友達に比べたら遅い留学でした。


でも出発が遅い分、友達の苦労話や様々な体験談を直接聞くことができたので、
留学に対する不安感よりも、「一年間思いっきり楽しんで成長して帰ってくるぞ!」という気持ちの方が大きかったです。

実際、アメリカに着いて数日間のオリエンテーションは
新しい環境、新しい友達、異文化などなど、純粋に楽しいと思えることが多くありました。

もちろん、英語だけの生活で自分の英語力のなさを痛感する毎日でもありましたが、前向きに「頑張ろう!」と思っていました。


さぁ、来週から授業も始まるし本格的な留学生活がスタートするな。


と思っていたアメリカでの初めての週末。

腹痛。腹痛。腹痛。腹痛。腹痛。腹痛。

もともと、疲れるとお腹にくる人なので最初は気にしていませんでした。

でも一日経っても治る気配もなく、むしろ、ひどくなる一方。
38度以上の熱があり、あまりの痛さでベッドから起き上がれないため丸2日何も食べれず。それでも吐き気はするし。

そんな腹痛三日目の深夜3時。

吐き気のため部屋の外にあるトイレに行きました。が、あまりの痛さにトイレから出たあと一歩も動けなくなったんです。
寮だし廊下にうずくまっていれば誰か通るだろう。と思いしばらくいましたが人が来る気配ゼロ

10メートルも離れていない自分の部屋に戻ることもできず、
このまま朝までここにいることを本気で考え始めたその時、近くの部屋で物音がしたんです。

「助かった…。」

しかもその部屋はRAのお部屋!(Resident Assistant:寮生が安全・快適に暮らせるようにサポートしてくれる学生さん。あってますか?

助けて下さい!の一心で部屋をノックし、事情を話し、そしてそのまま病院に運ばれました。



血液検査、大量のバリウム、CTスキャン…意識朦朧で覚えていませんが色々な検査をしました(妊娠検査もしました!)



結果…Appendix Burst 盲腸破裂
そして「手術します」の一言。



正直泣くかと思いました。

点滴でも打てば治るだろうと思っていたのに、手術。
アメリカ来てまだ5日目。右も左も分からない状況で、手術。
「家族に連絡するから」と言われても「家族は日本です」と答えるしかなくて。


でも、泣いたって始まらないと思いました。


今頼れるのは自分だけ。
自分の気持ちに負けるな!


とずっと言い聞かせていました。



そして無事手術が終わり、
麻酔から覚めたとき病室によしみとハムリンの先生方が待っていて下さったんです。


その時どれほど嬉しかったかは言葉では言い尽くせません。
「一人じゃないんだな」と思いました。


母と連絡を取ってすぐにアメリカに来れるように手配してくれたハムリンの先生方やAIUの留学支援チームの方、
1人で海外に来れるはずないと思っていたのに、飛んできてくれた母、
寝てばかりの私に代わって母の通訳をしてくれたり、どんな頼まれごとも快く引き受けてくれたよしみ、
出会って間もないのに、ハムリンの友達からたくさんのメッセージカードやお花もいただきました。
日本にいる友達からもたくさん励ましのメールをもらいました。


私は色々な人に支えられているんだ。
と実感して感謝の気持ちでいっぱいです。


支えてくれている方の気持ちを無駄にしないためにも、この留学生活実りあるものにしよう。と決心しました。


しかし、退院して、食欲もでてきて、歩けるようになってきて、やっと授業にも出れるようになった頃、それはまたやってきました

腹痛。


検査の結果、もう一度手術をすることになったのです。
手術とよぶほど大がかりなものではなかったのですが、部分麻酔がまったく効かず、あまりの痛さに大号泣

退院後も腰のあたりから管を通したままだったため、痛くて長時間椅子に座ることもできません。



1カ月近くまともに授業に出れていなかったため、クラスに行ってもちんぷんかんぷん
休んでいた分のたくさんの宿題、ペーパー、リーディング
クラスに追いつくための補習授業
学校のイベントには参加できないし。
友達と遊びにも出れない。
薬の副作用で具合も悪い。

負けちゃだめ!と思っていた私も、さすがに「こんなのむり。」という思いでいっぱいになってきました。

人に会いたくなくて、
授業にも行きたくなくて、
宿題なんてみたくもない。

でも、ここで諦めるのもいや!
でも無理…。

その繰り返しでした。



そんな時AIUの留学支援チームの方から電話をいただきました。

「若いから無理できると思うかもしれないけど、若いからこそ、焦らず、やり直しも十分きくし、ゆっくりやってもいいと思うよ。」


この言葉を聞いたとき、とっても救われたんです。
そして日本に帰ることに決めました。

帰るという選択は今の状況から逃げることになるんだ。と思っていましたが
逃げるわけではなく、心も体も万全にしてから、また留学にチャレンジしよう。と前向きに思えるようになったのです。



長くなりましたが、こんな理由で私は今日本にいます。

次にアメリカに戻るのは春学期がはじまる1/27

今は、英語をもっと勉強して、様々な分野の本を読み知識を増やしてアメリカに帰ろうと頑張っている最中です

たった1ヵ月半しかアメリカにいませんでしたが、色んな国の人に出会え、学ぶことも多くありました。
もっと勉強をして、世界を知りたい。という意欲も留学前より大きくなっています。


アメリカに戻るのが今は楽しみで仕方ありません

本年は大変お世話になりました 来年もよろしくお願いします

2010. . 22
海老蔵、しっかりしろよ!お昼のワイドショー見ながらせんべい食べたすえは、そう日本に帰国しました。みなさん、達郎は聞きましたか私はばっちりです留学も一応終わりという事で今回はまとめ編になります。長くなると思いますがどうぞお付き合いください。

「留学どうだったの?」何回も何人からも尋ねられることは必至ですよね。私はいま自分の気持ちを言葉にする大変さをとても感じています。3泊4日の韓国旅行でもあるまいし、「超楽しかったよ」では自分の留学体験が全く伝わりません。例えば「アメリカはやっぱり何でもかんでもでかかったよ~」と言ったとします。確かに大きいってことは伝わるけど、何がどのくらい大きくてそれに対して自分がどう思ったのかが欠けています。漠然としたイメージも自分の言葉で表現できるようになればなあと思っていますが、まだ私には難しいようで…それでも自分なりに留学をまとめていこうと思います。

寒さ厳しいシカゴに降り立ったのが1月7日。馬鹿にしていた厚手のコートとブーツが役に立って両親に感謝。その日の気温は-16℃だった。英語を話すしかない環境に自分が置かれているということを痛いほど思い知った第一週目。日本語を話す相手がまず身近にいない。言いたい事が英語にならないイライラと「なんで私はここにいるんだろう」「これが私のしたかった留学なのか」という矛盾した疑問(留学がしたくて国際教養大学を選んだはずだったから)に苛まれた。英語を使えば使うほど心が折れ、口数は減り、一歩下がってしまう。だから仲のいい子も増えていかないし、「静かな日本人」という印象が出来上がってしまう。そんな悪循環にはまっていた。思えば私は「傷つく事」を極端に避けていた。「え、何言ってるか全然わかんない」と相手に言われたくないので話さない。だけどこれは結局自分が甘えてるだけだった。英語だって使わない限り上達していかないのに、怖がって何もしない私の弱さが出ていた。何かしなくちゃと思っても何もしない、その事を後で悔いる日々。自分何やってるんだろうと自己嫌悪に陥る…略

あれ1学期目めちゃくちゃ暗い(笑)実際学校生活で楽しいと思う場面は少なくて夏休み日本に帰った時は本気でアメリカに戻りたくないと思ったし。ホストファミリーが良い人たちだったから良かったけど、それがなかったらきっと私はダメになっていたと思う。とにかく訳が分らないまま過ぎた1学期という感じだったなあ。

8月22日再びシカゴへ。「終わらせるにはまず始めなくちゃいけない」を合言葉に自分を奮い立たせてベロイトへ向かう。2学期目はだいぶ様子が違った。どんなに「は?」と聞き返されようが何度でも分ってもらえるまで繰り返す。授業中に発言してみる。前を向いて歩く等々。当たり前なのにできていなかったことを少しずつやってみただけで生活はぐっと楽しくなった。話す友達も増えた。総数45枚のペーパーを書き終えたことで「自分書けるじゃん」と妙な自信もついて2学期目は終了した。

新しい環境では「挑戦心」を常に持つこと、少しくらいしつこく生きること、何か変えるには痛みが伴うこと(いつかの首相も言ってたっけ)、見てくれている人がいること、支えてくれる人たちがいること、自分は世界でたった一人生きているのではないこと、日本人であるということ、英語を使うということ…自分の人生これからどう生きていくのか、変えていくかこの留学から学びました。私なりの留学経験が持ててすごく良かったと思っています。きっと作れた友達の数は少ない方だし、英語も多く話してないと思う。それでも自分に大きな影響を得る事が出来ました。ここで終わりにするんじゃなくて、ここから留学を使ってさらに自分を成長させられるかが今後の私の課題です。ここで終わらせたくないし、「楽しかった」留学程度でとどめておきたくはありません。もしかしたら留学中よりも後の方がもっと成長できるのかもしれないと最近は思います。

国際教養大学を選ばなかったらきっと留学はしなかっただろうと思います。たしかに興味はあったけど「絶対」とも思っていなかったし、現状の生活に満足していただろうなと思います。アメリカにいて辛いなあと思う日が多かったけど、留学したことは全く後悔していません。留学中にマイナスに感じたことも今後プラスに変えていけるはずだし、そうじゃなくちゃいけないと思う。留学が自身を変えていくきっかけになるんだと今は思っています。最後に週末電話に付き合ってくれた両親、富山からたくさんの激励メールをくれた心友、ミネソタとカリフォルニアで愚痴を聞いて一緒に笑い飛ばしてくれた友人たちに感謝してこの場を閉じようと思います。本当にありがとう。

今回はだいぶ真面目に書いてみたすえでした。

でも…やっぱりすこし物足りないからもう少し書いちゃおっとニューヨークの宿泊先から予約したバンに乗って空港へ。途中数人拾いながら向かう。その中にビジネスマンだか学生だか分らない日本人男性(最初は日本人だと思わなかった)がいた。同じ航空会社の入り口で降り、ほぼ同時にチェックイン。どうやら同じフライトを使うよう。いや~、ニューヨークも広いのによくも偶然同じバンに乗り合わせたもんだなあと少し面白がっていた。そして「これで席隣とかだったら笑える~」程度に思っていた。飛行機に乗り込む際自分の二人前程にその人を発見。私が席に着くと前を歩いていたその人はいなくて…「さすがに隣はあり得なかったか」と思っていると「すみません」と声がかかり…やっぱりあんたか~い!!そして隣の席へ。おいおい、こんなこと起こるのかと笑いをかみ殺したすえでした。
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