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ピザって10回言ってみよう

2010. . 25
なんやかんやで新学期が始まりました。再びアメリカより更新開始します。日本に帰ったらあごに何か線が増えていることに気がつけたすえです。アメリカにい続けたら絶対に気が付けなかった。いや~アメリカの食事は恐ろしい(というか自分の摂生量に問題アリ)帰国すぐに弟からの「姉ちゃん、お父さんが写真の中の姉ちゃん太ったねって言ってたよ」との丁寧なご報告、身にしみ過ぎて私の中のベルリンの壁は簡単に崩壊し、長江は決壊しました

寮は結局自分のくじ運のせいで、再び同じ部屋を選択していましたが、ルームメイトは変わりました。入寮日まで新しいルームメイトに関して一才情報が来ず、香水きつい子とか(香水は頭痛が起こるから無理)深夜2時に部屋でドライヤー使うような子(ルームメイトは幸い昼シャワー派であった)だったらどうしたんだろうと今更ながら想像。うん、自分今回もついてたなあ。前回の子もとってもマナーのいい子だったので。(ただ、前回のルームメイトはピザを1人で一枚平らげることのできるつわものだった。毎週日曜の夕飯は絶対にピザ。何かを体の後ろに回して私から隠してるように運んでいたのはピザ。ああ、今日もいいにおいがするなと思ったらピザ。こそこそ何か注文している雰囲気があったら、はいピザです)

とりあえず授業が始まります。秋学期はさらに自分が取りたいと思っていた興味のある分野と卒業条件の単位取得を目指して勉強に励むつもりです。(何せ前回と違って今学期取ろうとしてるのは8割方応用クラスだからごにょごにょ…)今回取ってみたのはミュージアム学入門、古典・ロマン派音楽、文化的見地から見た数学、日本の女性学比較論の4つです。もしかしたらリコーダーが増えるかもしれない(教授からリコーダー借りっぱなしだ…それを理由にされたら逃げられない)けれども、基本的にはこの4つで行ってみようと思っています。どのクラスもAIUでは取る機会が無いので各授業を楽しみにしています。

なんだかんだ言って先学期女性学でさんざん苦しめられたのに今回もまた取ってしまった…日本という言葉につられて(笑)教授が日本語知っていそうな雰囲気だったので仲良くなれたらいいなあ。次回は各授業の内容と教授の雰囲気がお伝えできればと思います。それではすっかり秋になったベロイトよりお送りしました
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夏の思い出

2010. . 22
どうも、ご無沙汰です。更新が遅れてしまい申し訳ありません。
最近、暑くて若干ダウン気味のみっちーです。先学期が6月の頭で終り、数日の休みがあったのもつかの間、すぐに夏学期での授業が始まりました。
韓国では夏休みや冬休みにも授業があり、取り損ねた単位や卒業に必要な単位を稼ぐために学生たちが授業を取るシステムがあります。単位も交換できるし、夏には韓国語の勉強もしたかったので、一石二鳥やーって思って取りましたw

自分が取ったのは、韓国の伝統音楽(先学期に引き続き)と韓国語。

感想を一言で言うなら。。

もう、授業なのにたのしすぎた!!!!

先学期とは比べものにならないくらい楽しかった(授業が楽だったってのもあるけど)
そして実感したことは、語学の授業って友達(留学生の)を作るのに大事なんだなーってこと。
というのは、先学期は韓国語の授業を取らなかったため、正規学生同じものを取っていました。おかげで韓国人の友達はできたのですが、留学生の友達はあまりいませんでした。
でも、語学の授業を取ったおかげでほかの留学生と絡む機会もできたし、韓国語を楽しく勉強することができました。

それと、フィールドトリップでDMZと泥の祭りにも参加できて楽しかった。この夏学期韓国来て一番楽しかった学校行事(?)でした。

それから、夏学期が終わってから韓国の東南にある慶州に行ってきました。慶州は、統一新羅時代に首都として栄えた場所で寺や石像や塔(石でできたちょっとでかめの)を見に慶州をぐるぐる廻っていました。仏国寺や石窟庵、そして南にある南山という山にある石像群を大学で知り合った大学院生の方と一緒に見に行ったりその方の調査の手伝いをしたり充実した旅になりました。
また、慶州だけでなく近辺にある寺にも調査の手伝いで行ったり、仏教徒(笑)にはたまらない1週間になりました。
中でもテグにある海印寺というところでは和尚さんにちゃっかりお茶をごちそうしてもらいました。
きっと、うちの大学(梨花女子)でもこんなに寺回ってこんな感じでお茶までごちそうしてもらったのはおれらだけじゃないかと先輩と二人で話していました。とにかく、非常に濃い1週間でした。途中でカメラが壊れたのがかなり痛かったですが(今はきちんと使えています!)
慶州から帰ってきたのが先週の金曜日。
そして、まさか韓国で果たせるとは思ってなかったのですが、人生初のロックフェス!に
その二日後参戦してきました。

Jisan valley rock festival~Go Green, Go Rock~

正直今でもジサンがどこにあるのかわかりません(笑)でも、そんなことはどうでもいいんです!会場行きのバスも一週間前にとって結構ギリギリでお金もあんまりなかったけどw、楽しんできました!(一人で)

韓国から3つ、日本から1つ(じつはこれがおれの目的。なんと、the HIATUS)、そしてほかの国から(すみません、どこだっけ?)2つ。そのうちの一つは、MUSEでした。
海外で初ロックフェス果たせるとはおもっていませんでした。
お目当てのバンドまでに時間があったので会場を見学。アーティストの物販、屋台、そのほかもろもろ(たぶんスポンサーの宣伝ブースかな)、見て回りました。お目当てのバンドのCDとタオルを買ってもう、帰ってもいいかなーって思いましたが、さすがにそれは意味がないと思ってばっちり最後のトリのMUSEみて帰ってきました。

(こういう時にどうやって感動を伝えていいかわからないのでもっと文章力を上げる必要があるなと毎回思っております。はい。)

何を言いたいのかと言うとこういう風に楽しんでいます、ということでした。みっちーでした。それでは、また!

台湾はトイレットペーパーが流せない。でも、がんばれば流れる。

2010. . 10
こんにちは。

父からの「帰国しろ!帰国しろ!」というスパムメールを無視続け台湾に滞在中のイシモリです。

2ヶ月半の夏休みは折り返し地点。2ヵ月半500元(日本円約1300円)の激安寮にお世話になっています。

5階建ての建物に4人の日本人、2人の韓国人しか住んでいなのですが、わざわざ1つの部屋に3人で住んでいます。

さらにサマーキャンプに参加する中国人(大陸)や日本人がたびたびやってくるのでけっこう慌しいです。

僕の隣の部屋に住んでた中国人は僕の渾身の「ニーハオ!」に見向きもせず、結局1週間無視続けられましたが、
何人かの中国人とはおしゃべりしたり、卓球したりして仲良くなれてよかった!

しかし、北京語と台湾国語(台湾版中国語)の差は関西弁と東京弁(こういう言い方あるっけ?)の比じゃないです、、

たとえば、捲舌と呼ばれる北京語の(shi zhi chi)の音が台湾では極端に(si zi ci)に近かったりで、台湾人の中国語は大陸とは少し違います。

声調とか使う単語も違ったりして、なかなかおもしろいです。

台湾人もよく聞き返したりしてたなー


内モンゴル出身の人の中国語は方言が半端なくて何言ってるか良くわかんなかったけど、適当に相槌うってたら友達になった!

ただ、中国はフェイスブックが使えないとのこと。政府の事情で。

夏休みはずっと台湾にいるつもりだったけど、最近になってすごく大陸に行ってみたいと思ってます。

とりあえず財布と相談だなあ。


(初めて1年経つか経たないくらいの中国語は8年間勉強してた英語を追い抜きました。もはや、英語話すモチベーションが残ってない、、、、これからどういう方向性でAIU生をやっていくかはのちのち話したいと思います)

では再見!!

タイ前半戦回想録2

2010. . 10
こんにちは!!
昨日実家の秋田からバンコクにもどりました。リベカです!
またも前回の日記から時間が経ってしまい申し訳ありません


さてさて前回はデモ隊幹部が暗殺されたところまで書きました。

その後のデモの雰囲気は徐々に険悪になり、政府とデモ隊との和解交渉もどっちも自分の意見を譲らず。。。

ある日政府はデモ隊が居座っている所の周り数ブロックの

電気、水道、携帯の電波

を次の日に全てシャットダウンし、軍で彼らの周りを包囲するとアナウンス。

そのアナウンスがあった日、私はちょうどその包囲するブロックの中にある日系のオフィスでインターンをしておりましたが

もう、その日の午後のお仕事はお仕事どころじゃないし、新しい事務所どこにするとかなんとか

もう、てんやわんやでした。

ちなみに大学も包囲するブロックに入っていました。

幸いすでに夏休みに入っていたので、出かける必要もなく。

次の日から自宅待機となりました。

それが5月13日。

そして5月15日。

テレビで報道されるようなどんぱちはあったものの、それはブロックされたエリアでの話でした。

私の家は少し離れたところにあったので、戦闘の臨場感を感じることもなく過ごしておりました。

なのでこの日は近所の日本人の友達のところへちょっと遊びに出かけました。

しばらくその友人とだべっていると、更に共通の知り合いである日本人駐在員の方から電話が。。。。

なんといつの間にかデモ隊とのどんぱちが私が住んでいる地域の近くまで迫ってきて、軍が私が住んでいるブロックの通りを全て有刺鉄線で囲んだとのこと。

「リベカちゃん!だから今日はおうち帰れないから!とりあえず迎えに行くね!今日はうち泊まって!」

あまりに突然のことだったのでわけもわからず、

でも在タイ歴が長いのこの人を信じるしかないと思い。

友人とその駐在員さんのおうちへ。。。

途中アパートがある通りの前を通るとそこには軍の人、向こうにはタイヤを燃やした煙が。。。





一体今何が起こっているのか、目の前の光景が今まで見たこともないものだったので認識できず。

とにかく避難。。。

駐在員さんのおうちはデモの地域から外れた住宅街にあるので、まずは安全。
(私のうちは町の真ん中)

それでも泊まる道具も何も持たずに来てしまい、

安全が確保されたのと同時に、頭が冷えたので一気に色々な不安が押し寄せてきました。

でもとめてくれた駐在員さん&御家族が本当によくしてくれて、
(結局デモが収まるまで5日間もいさせてくれました)

勉強不足な私にタイの社会や政治情勢、文化などについて教えてくれたり

私の面倒を色々とみて下さいました。

なんとも頭の下がる思いでございました。

いさせてもらった日々では、不安も残っていましたがおうちには小さなお子さんが2人いて、

ちびちゃんたちを相手にしていたら自然と緊張していたその心も休まるのでした。。。



結局デモは収まったわけですが、

この騒乱を通して、危機管理の大切さや、こういう非常事態における助け合いの心を学ぶことができました。

自分もいつか日本や海外で同じようなことが起こったら、誰かを助けることができるようにないたいと思いました。

タイ前半戦(戦?www)回想録

2010. . 02
みなさんこんにちは!
夏休みで一時実家の秋田に帰国中のリベカです!

テレビでは連日の猛暑でつらいつらいと報道されてますが、半年ほど毎日を35度前後のバンコクで過ごした私にはなんてことない!
バンコクは毎晩熱帯夜ですが何かーーー!!??<

むしろ30度以下になると寒く感じるのです

このままで留学終わって12月日本に帰って大丈夫かしら。。。。?

さてさてさて、留学ももう半分が過ぎました。(早いなー)

他の皆は行った国や学校生活が大変だったり、ショックでそこから立ち直って。。。っていう思い出が多いのですが。。。

私はなぜかそうではないのです!!

多分海外経験がちょいとあるので。。

NO カルチャーショック!

NO 英語ショック!!

毎日楽しい日々を過ごさせてもらってました

そんな私でも留学中にショックなことがありました。

それはデモ。。。

日本にいる皆様も時々ニュースで見たと思います。

タイのタクシン元首相による赤派と現政府による戦い。。。。

ちなみになぜ赤派というかというと、仲間はみんな赤シャツを着ているから。。。

こいつが留学前半戦での大きな悩みの種でございました。。。


初まりは2月ごろ友達の誕生日で外食に出かけたところ、雷が落ちたような

ピシャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!

という音。。。

でも気にせずご飯を食べ、レストランを出るとなんとすぐ近くの銀行に爆弾が投げられたとのころ。。。。

おい。。。

でも死傷者はいませんで。。。

ちなみに赤シャツは基本的に非暴力なので、人がいるところにはそういうものは投げないそうです。

そして4月ごろにバンコクのど真ん中を赤シャツさん1万人が占拠。。。

色々ニュースがあったものの、非暴力なのでただの座り込み。。。

しかもほとんどの参加者が地方から出てきた農民。。。

そしてどうやらタクシンさんかデモの幹部の人が参加者の人たちにお給料を上げているらしいのです。


皆様想像してみてください。

地方の農民。経済的には結構大変。。

タクシンさんは地方に優しい政策(ばらまき政策とも非難されてるが)をしてくれたから支持してる。

そこでお給料あげるからバンコクに来ない?っとのお誘い。

しかもバンコクのど真ん中で座っているだけでお金がもらえる!!

しかも子供でもお給料が出る。。。

そらぁ来ますよね、1万人。。。

でもおかげで普通のデモと違ってすごく平和だったんです。

雰囲気としては

普通「(怒りながら)生活が大変なんだー!政府なんとかしろー!」

ではなく

「いえーい!バンコクきちゃったー!」

だったんです。はたから見ても。最初はね。

子供連れのお母さんとかおばあちゃんとかも多かったし。w

でも暫くすると、幹部にみんな洗脳されてくる。。。(毎日ステージで集会とかスピーチやってるもんだから)

デモ隊が町のど真ん中を占拠するものだからその辺のデパート、事務所は閉めざるを得ない。。。

タイのGDP20%近くは観光業。このデモのおかげでバンコクのお店は客が来ず、閑古鳥が鳴く。。。

っというわけで、バンコクで商いしてる人はイライラ。。。

幹部も政府が要求のんでくれないからイライラ。。

怪しい雰囲気になってくる。。。

4月下旬地元の人と、デモ隊が軽くドンパチする。。。

ますます怪しい雰囲気。。。

そして5月中旬。。。

幹部暗殺される。。。
ついに業を煮やした政府が、デモ隊がいるところを取り囲むと宣言。。。
彼らがいるところの電気、水道、携帯電話の電波まで止めるとのこと。。。

私はその時、取り囲むと宣言されたエリアの日系企業でインターンをしておりました。。。



ここまで書くと読んでる皆様は怖さ全開な感じがするでしょう??



それでもタイは「大丈夫~!」という雰囲気があるんです。。

おそらく2月から毎日デモ隊を見ていたせいで危機感がなくなったというのもあるでしょうが、

タイ人自身も基本的に楽天家。。。

「大丈夫~!(マイペンラ~イ!)」

が口癖の国民なのです。

だからそんなことがあった日もアパートの大家さんは

「うーん。大丈夫!すぐおわるよー!」

だって。。。

だから自分も大丈夫!っと思っていた。。。


しかししかし!残念ながらすぐに終わってくれなかった。。。


更なる苦難が待ち受けておったのです。。。


続きはまた今度!

つらつら長々と失礼いたしました!
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